ものづくりの町・墨田から
今井さん「それはよく聞かれることが多いんですが、どの作業ということはないんです。一番初めの、錫の固まりを溶かす作業からそこで60点の仕事しかできなかったら結局は60点のものしか出来上がらない。もちろん人の手で作るものですから、出来上がった商品として95点だったり80点のものだったりはしますが、ひとつひとつの作業がきちんと出来てはじめて商品として通用するものができるんだと思っています。」
常に精力的に錫器を作り出している大阪錫器株式会社の現場には、どんな職人さんが携わっているのだろうか。
今井さん「私も入れると職人は16人います。一番の若手は19歳の女の子。ウチには20代30代の若い世代も多いですよ。伝統的工芸品産業振興協会(略称:伝産協会)や市の主催で体験会があって、例えば大阪市の事業だと2週間のインターン制度をやっています。そういう体験会に参加した人が、自分もこの業界で働きたいといって応募してくることが多いですね。今の日本の伝統産業では、なかなか若手の職人を育てることが難しいのが現状です。でも私の考え方は、『自分が食べられればいい』と考えるのか、『この産業を繋げていくことが大切か』を考えています。まぁ、社長の給料を半分にしてでも職人を雇い入れないとね。その代わり経営は本当に大変ですよ(笑)」
錫の塊を溶かし流し込む作業。
ロクロで削り出す。
つや出し作業もひとつひとつ手作業で丁寧に。
取っ手などを取付けて完成。
人の手で作るもの
人材を育てながらも産業として成り立たせ、いかに次に繋げていくことを考えていくか。日々難しい現実問題に対峙しながらも、今井さんは日本のモノづくりを支えるひとりとして、明るく現場をリードしている。だからこそ若い職人も、長年の職人も今井さんのもとで仕事に打ち込めるのだろう。 そんな闊達な現場から、今後どのような商品開発を考えているのかを伺った。
今井さん「私の基本的な考えは『人間が手に持って使うものだからこそ、人の手で作ったものがいいはず』ということです。例えば1本の線を引いたとき、機械で引くと真っすぐブレのない直線が引けますよね。それが人の手だと直線のように見えても厳密にいえば直線じゃない。でもその揺らぎ・ブレというのが、人の手に温かみを感じさせたり手に馴染む感覚に繋がるんだと思うんです。だからこそ手作業で作っていくことを大切にしたいですね。それと、伝統のものとはいえ、その時代に合ったものを作ることが大切ですからそこは常に気にして考えています。私たちの子どもの頃は畳にちゃぶ台でしたが、今はフローリングにテーブルでしょ?そうすると器のかたちも変わってくるんですよ。」
確かに、錫の器を手に取ってみると金属でありながら冷たさよりも温もりを真っ先に感じる。素材として錫の硬度がやわらかいということもひとつの理由だろうが、そこには手で感触を確かめながら丁寧に仕上げられたこその温もりがある。
錫の良さが実感としてよくわかるのが酒の席。“冷は桝、燗は錫”と言われるように、錫は雑味を吸収してまろやかにしてくれる。錫のプロがおすすめするお酒の楽しみ方を教えてもらった。
今井さん「季節によっていろんな楽しみ方がありますよね。私なんかは夏場だと、氷水を張った器に錫の徳利を放り込んで飲むと、これがキンキンに冷えて最高に旨い(笑)。冬場はやっぱりお燗ですね。錫の特徴のひとつは熱伝導率の良さです。お湯を張った中に徳利を入れればすぐにお燗ができます。面倒なことナシで、すぐに飲みごろになるのが何よりもいいんじゃないでしょうか。」
学生に教えることで気付かされる基本の大切さ
今井さんは、会社の経営とは別に、大学で学生たちに錫器の製作を教えている。その経験も職人としての今井さんに色々なことを気付かせてくれるという。
今井さん「人に教えるというなかで、自分が教えられることが多いんです。仕事としてものづくりをしていると、どうしても最短距離で効率よく作ることを考えてしまう。でも基本の技術を持っていないと、必ず行き詰まる場面が出てくるんです。そのときに基本の基本に立ち戻って、面倒くさいと思っても昔の手順に戻ってやっていくと、それは必ず解決するんです。それをできるかがプロとの違いだと私は思います。」
プロとしての誇りと技を明るく語ってくれる今井さんは、ご自身も伝統工芸士として今も職人の道を歩んでいる。そんなプロが真心こめて作った錫の酒器と秋の味覚で、さっそく今週末あたり一献いかが。
江戸時代後期に創業した京都錫の流れを汲む。初代伊兵衛以来、代々大阪錫の伝統を守り続けている。大阪工芸展などへ精力的に作品を出展、数々の賞に輝き、昭和58年には伝統工芸品「大阪浪華錫器」に指定された。全国の錫器の大半が、下町情緒漂うこの場所で生産されている。
大阪錫器株式会社 今井達昌さん。