オンラインマガジン-日本各地の職人を訪ね、Made in Japanのものづくりの現場をご紹介しています。
キラキラと光が遊ぶ。江戸切子のグラスには職人の秀逸な技によって生み出された文様がまばゆい光で描かれている。 庶民のグラスとして粋な江戸っ子たちに愛されていた江戸切子を現代に繋ぐ工房を訪ねた。 東京都江東区亀戸。昔は亀戸の街一体にガラス製品を扱う店が集い、いつもガラスの音が響いていたという。今は住宅地となった町を10分ほど歩くと、根本硝子工芸の工房に辿り着く。根本硝子工芸の2代目、根本達也さんにお話を伺った。 父は江戸切子職人として伝統工芸士にも認定されている名匠・根本幸雄氏。子供の頃から職人の現場を見て育った達也さんは、その厳しさを知っているだけになかなか職人になる決意は芽生えなかったという。 根本さん「親父は昔ながらの職人気質で、子供の頃は怖くて近寄れなかったんですよ。それで僕はずっと音楽をやっていたんですけど、21歳頃に結婚をしたことが転機になりました。やっぱり音楽じゃなかなか食えない。で、どうせ職人をやるのであれば他の人に負けたくない。そういう気持ちでしたね。」 そこからはひたすら他の職人の作品を見て、考え、腕を磨く日々がはじまった。 根本さん「もともと僕自身はあまり素行のいい学生ではなかったので(笑)この仕事をやろうという気持ちもあまりなく、ふらふらしていたんですね。でも僕が高校を卒業するときに親父の知り合いの方がガラスの学校を作られたので、そこで数年間学んで、そのあと実家に入りました。でも初めはもちろんガラスを削ったりという仕事ではなく、洗い物とか検品とかの仕事を1年くらいやってましたね。でもなかなか仕事に本腰を入れようという気持ちにはなりませんでした。」
名匠への道のり
薩摩切子と江戸切子の違いのひとつはガラスの色層の薄さ。薩摩切子が2.3mmに比べ江戸切子は1mm以下。そのわずかな色層にカットしていくには高度な技が必要だ。職人への道を歩き始めた達也さんが手応えを感じ始めるまでには長い時間を要したという。
根本さん「伝統工芸展に出品するようになって、それで少しずつ賞を頂いたり入選したりして、自分の作品が売れるようになってきたんです。やっぱり作品を買ってもらえればうれしい。そして図録に自分のものが載り始めたりするでしょ。そうすると他の人の作品と比べて、やっぱり全然負けてるな、というのを感じるんですよ。やばいってね。」
負けず嫌いの職人魂に火がついた達也さん。でも周りは熟練の技を持つプロ中のプロばかり。
根本さん「僕なんか駆け出しですからね。作品を作ったそのときは一応満足するんですよ。でも作品展なんかで他の方の作品と並べると、あぁちょっとまずいぞって思うんです。他の先生の作品を見る機会が増えるとやっぱりわかるようになる。毎日ガラスを削っていると他の作品を見てこれは技術的に難しいなとか、僕にはできない、とか。それで次を作るときはもっといいものを!と思うんです。その繰り返しですね。」
受け継ぐものと創り出すもの
切子のデザインは麻の葉、魚子(ななこ)、籠目、菊籠目、くもの巣、菊つなぎ、笹の葉など伝統的な文様が基本。しかし新しいデザインも取り入れていることが根本硝子工芸の魅力のひとつだ。
根本さん「結局、江戸切子というのは基本パターンが決まっていて、誰が作っても一緒になってしまう。構成の違いだけですから。例えば建築で2×4の家を建てるのと一緒でね。それじゃ僕はつまらないんです。『これ作ったのは根本さんだね』とわかるようなものをうちの親父は作ってきました。だけど自分のカラーを出しすぎると売れないんです。わかりやすい切子のカットじゃないと売れない。なかなか難しいもんです(笑)」
名匠の手によって刻まれるカット。
伝統を受け継ぎながら新しいものを生み出していく。それは試行錯誤の連続。
根本さん「例えばお客さんが『このデザインはどこをまわってもできないと言われたんです』といって持ってこられたりすると、よし、じゃあやってやろう!って意地が出る。それで『根本さんに持っていってよかった』って言ってもらえたりすると職人としての喜びを感じますね。」
職人の意地と技が織りなす繊細な煌めきが陽の光に乱反射する。薄く透明なガラスに生き生きとした表情を削り出すのが職人の腕の見せどころ。ふたつと同じものはないその美しさは江戸の頃から日本人の心を捉えて離さない。
根本さん「カタチがカーブしているもの、色が黒いものは非常に難しいんです。そういう難易度の高いものは職人が見ればわかりますから、そういうものが仕上がるとちょっと自慢したい気持ちになりますよね(笑)」
江戸切子のこれから
自分の技を磨くために生涯をかけて技術の向上に取り組む職人の世界。その手技に憧れて職人を目指す若手もいるが、現実は厳しいと達也さんは言う。
根本さん「やりたいという人はいますよ。だけど雇用が難しい。これは日本の製造業全体の現実じゃないですか?だからどうしても世襲になってしまうんです。でもその世襲も少なくなってきている。僕らの世代でもいま切子職人は20人しかいないんです。そうすると僕らの親父の世代がいなくなったときに江戸切子職人はそれ以下しかいなくなってしまうんです。だからジカバー・ニッポンさんのように、日本のものづくり文化を大切に、という流れが起きないと、製造現場はどんどん先細りしていってしまう。
でもやっぱり、僕らの持っているものをあとに残してあげたい。」
長い歴史の中で培われてきた江戸切子の技は、今から遡ること約170年前、西洋のカットグラスに憧れたことからその歴史が始まった。そして江戸好みの粋は職人の手技とともに今もなお生き続けている。
職人の技が生まれる工房は昔から変わらぬ風景。
有東京都伝統工芸士で、2003年には東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞も受賞された伝統工芸士である根本幸雄氏と、2004年には江東区優秀技能者賞に認定された根本達也氏の工房。伝統的な江戸切子の技法を使いながらも、たゆまぬ研究を重ね創作を続けている。
有限会社根本硝子工芸 根本達也さん。