オンラインマガジン-日本各地の職人を訪ね、Made in Japanのものづくりの現場をご紹介しています。
選・文:田中敦子 撮影:SHOUICHI(EPLP)
仏師が生み、文化人が育てたアートな漆器
秋深いある休日。車窓の向こうに抜けるような青空を背景に赤や黄に色づく景色が見えてきたと思う間もなく、JR鎌倉駅に到着。半ば観光気分だったが、降り立ったとたんに我に返った。
しまった、と軽く舌打ち。取材スタッフと東口改札で待ち合わせを約束していたが、メインストリートの若宮大路や小町通り方面ゆえ、想像を超えた黒山の人だかり。出会えるのは至難のわざで、携帯電話がなければちょっと泣いていただろう。
古都、景勝地、観光地。
恐るべし、鎌倉だ。しかし、だからこそ、鎌倉彫というみごとな漆器がこの地で生まれ、今日まで続いてきたのだ。
さて、まずは鎌倉彫の歴史をざっと勉強してみよう。
源頼朝が、ここ鎌倉に幕府を開いたのが12世紀末、イイクニ(1192年)ツクロウ、ですね。やがて実権は源氏から北条氏へと移りつつも、日本史上初めて関東に都が誕生したことで、この地に多くの文化がもたらされた。
日本は、古来大陸文化の影響を多大に受けてきた。鎌倉時代は、宋の禅宗(臨済宗)文化の影響が大きく、建長寺や円覚寺など、唐様と呼ばれる宋風建築の寺院が次々と建立されていく。寺院の細部には唐草や雲文などの彫刻が施され、堂内の調度品にも唐獅子牡丹や蓮華など精緻な彫りが好まれた。こうした宋風彫刻の美が鎌倉の地に根づいたことが、鎌倉彫を生み出すきっかけとなった。
また、同時期に鎌倉彫の誕生をうながす貴重な工芸品が日本に渡ってきた。堆朱、堆黒などと呼ばれる彫漆。漆を何百回も塗り重ねたものに深々と彫刻した盆や香合は、寺社の調度や茶道具として珍重されたが、あまりに高価で希少だったため、木彫の漆器で写すようになったという。つまり堆朱、堆黒の日本バージョンを身近な素材や技法で工夫したというわけだ。
菊文の盆。たっぷりと彫りをほどこした鎌倉彫らしい逸品。
木内史子さん制作の、現代的な鎌倉彫の黒漆蓋物(右)と、象の連続柄の茶箱(左)。
そうしたことから、日本の風土に合った独自の漆器として〝鎌倉彫〟が発展してゆく。江戸時代には、鎌倉彫の茶道具が町人たちに広まり、唐様の文様を継承しつつも、日本人ならではの柄行きや色合いが求められ、大いに生産されたという。
しかし明治に入ると、神仏分離令や廃仏毀釈で多くの仏師は仕事を失い、後藤家、三橋家が残るのみに。起死回生をかけ、菓子器や茶托、お盆、文箱、火鉢など、生活道具をつくるようになった仏師の追い風になったのは、明治半ばに横須賀までの鉄道が開通し、東京から至近の温暖で風光明媚な鎌倉が別荘地として注目されたことだった。鎌倉を訪れる富裕層や文化人の日用品や贈答品としてつくられた鎌倉彫が、今日の鎌倉彫のベースになっている。
店内に積み上げられた鎌倉彫用の木地。小夜子さん、史子さんも、この木地を使って制作。趣味で鎌倉彫を楽しむ人たちが次々訪れては買い求めていた。
鎌倉彫に使われるさまざまな彫刻刀。こまめな刃物の研ぎも大切な仕事。
鉛筆で下絵描き。幾何学文様は定規で下絵を描いて、その後はフリーハンドで。
まず小刀で、線彫りしてゆく。
丸刀に持ち替え、深く彫る。史子さんが彫っているのは茶室の炉に使う炉縁。
女性ならではの感性を生かしてモノづくり
今回、取材でおうかがいしたのは、三代続く鎌倉彫作家の店、一翠堂。小町通りの中程という恵まれた立地に位置している。小体な店舗には、二代目の木内小夜子さんと三代目の木内史子さんの作品と、それから鎌倉彫用の木地が天井までびっしりと並ぶ。少人数ながら、鎌倉彫の教室も開いている。お店にある多種多様な木地を選んで作品造りできる贅沢な教室だ。
「鎌倉彫の木地は桂材で、うちでは木目の細かい北海道産を使っています。桂って素直で使いやすい素材なんですよ。他の材も使いますけど、彫りやすい素材は塗りに難があったり、塗りにくいと固くて彫りにくかったり」
木地は、アイテム別に得意なところに依頼している。たとえば轆轤を使って削る刳り物なら小田原や栃木へ、箱ものの技法である指物なら東京へ、というふうに。
「父の代からお願いしているところがほとんど。どれも垢抜けた形だなあってほれぼれしますよ」
おそらくそれは、彫刻が入って初めて完成することを知り尽くした木地の仕事だからだろう。
少し彫りの仕事を見せてもらおう。
まず、木地に鉛筆で下書きをする。
「慣れた柄でしたらフリーハンドで描けます。幾何学的なものはざっと定規で線引きして、あとはフリーハンドで。紙に図案を描いてから転写することもあります」
面相筆で描くものもあるが、主に鉛筆。鉛筆は消せるのがよいところで、4Bくらいの濃い芯ではっきり描く。そして、さまざまな彫刻刀を駆使して彫りを施してゆく。下絵は大切だが、最終的には彫りながら調整するという。
「まずは小刀で輪郭線を彫ります。柄の雰囲気を見ながら、刀を替えて彫りすすめます」
いちばんよく使うという小刀、そして平刀、丸刀、三角、深丸、浅丸、極浅丸などを臨機応変に持ち替えて、史子さんは彫り続ける。
「いくらでも彫れてしまうのがこの仕事。見極めどころが大切です」
手を休め、集中していた顔をふわっと緩める。一度彫ってしまったら修正しにくいのが鎌倉彫り仕事なのだ。並みの集中力ではない。
「この仕事が家業でしょ。他に選択肢はないとわかっていたけれど、ちょっと他のこともしたくて、学生時代は彫塑をやっていたんです」
素人には同じ彫刻では?と思えるが、「彫塑は粘土で取って付けてができる作業。対照的なんです」
一般の大学の芸術学科から美術系短大に入り直し、さらに研究科で学び、日展に入選するほどの才能をみせた史子さんだったが、ある日「祖父、母が道筋をつけてきた家業こそ、もっとも極めていける道なんじゃないか」と気づき、後継者の道を選んだという。
「下積みは長いですよ(笑)。子どものころから木地を運んだりして手伝っていたし、教室の生徒さんの作品もあれこれ見てきましたから、ね」と接客から戻ってきた小夜子さんに同意を求める史子さん。
「ええ、子どものくせに、もっとこうしたほうがいいよね、なんて言ってました」と小夜子さんが相づちを打つ。
小夜子さんと史子さんは、夕飯の相談も仕事についての意見交換も、まったく同じレベルで会話しながら仕事を進めている。
「あの店のあのお菓子をのせたいよね、なんて話しながらお皿をデザインしたり」
二人とも、用途を考えた上で制作をする。
「そこが女性ならではかもしれませんね。鎌倉彫は実用と装飾を兼ねてこそ、と思うんです」
祖父・木内翠岳氏が使っていた漆塗りの道具を譲り受け、史子さんは使っている。右は漆篦、左は人毛を使用した漆専用の刷毛。
漆塗りの作業をする常盤(じょうばん)と呼ばれる箱型の台の側面は、使い込まれてまるでアートのような表情に。
どんな道具とも馴染んで引き立て合う鎌倉彫
「現在の鎌倉彫は木地師、彫師、塗師と分かれています。祖父はそもそも塗師が本業でしたが、彫りにも秀でていて、彫りと塗りを手掛けていました」と小夜子さん。明治以前は、彫り手と塗り手は不可分だった、というから、翠岳氏は歴史に倣ったのだろう。
小夜子さんは史子さんが卒業した美術系短大の先輩で、しかも同じ彫塑を勉強したという。そして卒業後、翠岳氏のもとで彫りを学んだ。小夜子さんは彫りが専門で、塗りは翠岳氏のときからの腕のいい塗師が引き受けている。史子さんは祖父と同じ道を歩もうと、翠岳氏から塗りの手ほどきを受けた。
「祖父と並んで塗りをするでしょ。次はどうするのって聞くと、適当にすればいいって」
適当?と最初はとまどった。
「でも最近、その意味がわかってきたんです。わかってきた分、もっと一緒に仕事する時間があればよかったなって思うんですよ」と2年前に92歳でなくなった翠岳氏を偲ぶ。鎌倉彫の塗りには、上質な鎌倉彫用の漆を使うが、「終戦直後、祖父はまず上質な漆を苦労して確保したそうです。それでなんとか仕事が続けられたと聞いてます。その分、祖母は苦労したでしょうけれどね」
塗っては乾かして研いで、という作業を十数回。気の遠くなるような仕事だが、イメージ通りに仕上がる喜びはそれに勝る。
小夜子さんの作品の塗りを手伝うことは、今のところないという。
「自分の作品でいっぱいいっぱい。母のまでは手がまわりません(笑)」
母娘ではあるが、まず師弟であり、ときにはライバルでもあり。そしてとにかく仲がいい。聞けば、史子さんは幼いころから、小夜子さんに連れられ、よく海外旅行に出かけていたという。インド、中国、エジプト。その国独自の文化、美術に触れることが、小夜子さんには制作の刺激となった。史子さんへの密かな英才教育でもあったろう。
「籠る仕事だから、気晴らしの意味もあるんですよ(笑)」
旅先では必ず地元の書店を探し、そこでしか手にはいらない資料を買い求める。
「文様を考える上で、資料は欠かせませんから。文様や技術のルーツを知っておく必要がありますしね。今も本を引っ張り出しては、二人であれこれ文様を考えるんですよ」と小夜子さん。旅の収穫は本棚にぴっしりと納まっている。
彫刻が施された鎌倉彫は華やかな印象があるが、意外にも「各地の漆だけの展示会をすると、鎌倉彫は渋すぎて目立たないんです」。
その分、他の道具と溶け合って馴染む。20代前半から茶道を習っている史子さんは、それを実感している。
「お茶をやっていると鎌倉彫っていいもんだなあって思います。こってり彫りが入っていても浮かないし、主張しすぎないのに、目立つんです。炉縁など、炉に火が入ると陰影が生まれて、いいものですよ」
そして使えば使うほど漆の色や艶が変化して彫り文様の表情が豊かになり、この世にただひとつの喜びが高まる。
「鎌倉彫はいい漆を使っているので一生以上使えてしまうんです」
伝統の文様、人気の形はあるが、つくり手により表情が変わるところも鎌倉彫の面白さ。
作家として脂が乗っている小夜子さんと、伸び盛りの史子さん。鎌倉彫の伝統技術を守りながら暮らしに根づく鎌倉彫を。思いをひとつに、それぞれの鎌倉彫を求め続けている。
【一翠堂】
鎌倉彫の佐藤宗岳のもとで鎌倉彫りを学んだ木内翠岳氏(1915~2008)が、1960年に創設。現在は娘の小夜子さんと孫の史子さんが受け継ぎ、鎌倉彫の木地販売と制作をしている。個展やグループ展で作品を発表。また小夜子さんが主宰する鎌倉彫教室では、定期的に発表会を開いている。
鎌倉彫作家の木内小夜子さん(右)と史子さん(左)。
一翠堂外観。小町通りに面している。