オンラインマガジン-日本各地の職人を訪ね、Made in Japanのものづくりの現場をご紹介しています。
わずか一万分の一ミリの煌めき。
箔が放つどこか儚げな輝きは日本人の心にやわらかな感動を与えてくれる。金沢箔といえば伝統工芸品としてのブランドが古くから確立されており、加賀百万石の繁栄とともに培われてきた工芸品という印象を持たれている方が多いと思うが、しかし実はそうではない。創業1975年 株式会社箔一の現会長である浅野邦子氏の強い想いと努力がなければ金沢箔の工芸品は現在も存在しなかったかもしれない。「金沢箔を世界へ」という目標に向かって前進する株式会社箔一の現代表 浅野達也氏にお話を伺った。
箔一の東京都南青山店。名だたる高級ブランドや、ファッション通を唸らせるショップが立ち並ぶ骨董通りから少し入った路地に箔一の直営店はある。午後の日差しがやわらかく差し込む店内には、箔を纏ったお重や屏風がきらびやかにディスプレイされ、金色の空気があたたかくお出迎えしてくれた。
東京都南青山にある箔一の直営店。
工芸品のほかにも化粧品や食料品など箔を使った製品が並ぶ。
金沢箔を世界へ
先代の浅野邦子氏は京都から金沢に嫁いだ。当時金沢箔といえば仏壇などへの材料供給がほとんどで、一般に金沢箔としての認知度は全くなかったという。こうしたことに疑問を抱いた浅野邦子氏は、自ら株式会社箔一を創業。達也氏は幼い頃からそんな母の姿を見て育ち、現在は代表として辣腕をふるっている。
浅野さん「創業当時のことを自分なりに振り返って思うと、当時は生活をしていくために必死で働いている母の姿が印象に残っています。そしてもうひとつは使命感でしょうか。なにしろ世の中に金沢箔を使った工芸品はなかったので、これは世の中に広がっていけるものだという確信があったんでしょうね。はじめはもちろん資本もありませんから、自分のなけなしの貯金と親戚から支援を頂いて、少しづつ製品を作っては売り、また作り、と繰り返していったんですね。そうやって少しづつ会社も大きくなっていきました。」
先代から代表を受け継いだ達也さん。『世界に金沢箔を広めたい』という目標と同時に、また一方で達也氏は金沢箔を伝統の軸に戻すことにも注力していくと言う。
浅野さん「世の中にはいろんなお客様が増えてくるにしたがって、量産して出荷していけばいいという考え方が生まれます。でもその一方では、地道に職人さんが手作業で作っていくモノづくりもある。この両輪が必要だということに気がついたんです。最近の伝統産業の風潮で、少人数でコツコツと工芸品を作っているものが注目されはじめています。ふと気がついたときに、私たちも昔はそのスタイルでやっていたのですが、いつの間にか、他の伝統産業の方から見ると箔一は大きい会社のように思われるようになっていたんです。それはそれで目指すところではあったんですが、小さくても手作業でモノづくりをしていく姿-それは私たちの原点でもあるのですが、それをもう一度自分達の手で戻していこうと思っています。」
伝統産業のジレンマ
いまの日本伝統産業に携わっている現場の皆さんにお話を伺うと、幾十にも渡る作業工程と細やかな技を駆使して出来上がった製品には揺るぎない自信を持ってはいるが、いざ市場に出てみると価格の問題などでなかなか売れない。そのジレンマを抱えている方が実に多いように感じる。
浅野さん「おそらく伝統産業に関わっている人は、皆そのギャップに悩んでいると思いますよ。我々も同じ悩みはあります。私たちの場合は、まず通常ラインで動くものはきちんとまわし、細かく商品仕様書も作って安定した生産ができる体制を作っています。その一方で社内・外の職人さんや関わる方とじっくり話をしていく。この両方をしっかりやっていくことが大切だと思っています。」
常に広い視野で捉えることが大切だと達也さんは言う。
浅野さん「伝統産業の世界観において、『これはできない』とか『難しい』という言葉をよく聞くことがあり、また、つい言ってしまうことがあります。でも私はその言葉が嫌いなんです。ちょっと自分達のやり方や手順を変えることで伝統世界のなかでまだまだできることがたくさんあると思っています。ですから私たちの仕事の出発点は『どうすればできるのか』というところから始まります。そこが私たちの強みなのかもしれません。Noということは確かに必要です。しかし世の中の大きな流れも知っておかないと商品は売れません。自分達の世界だけ見ているだけではダメで、まわりを取り巻く世界も見ないといけない。その両方を見る力が必要なんだと思います。ですから私も東京や大阪などいろいろなところをまわって、それを現場に落とし込むようにしています。」
伝統の世界において、守るべきものと変わっていかなければいけないものを見極めるのはとても難しいことだ。今の時代に対応しながら進んでいくことは時にさまざまな壁を乗り越えていく勇気を奮い立たせなければならない。
浅野さん「創業のときは、『神仏に使うものを日用品に使うとは何事だ』とお叱りを受けたことも多かったようです。なにしろ新参者で女性でしたから・・・。それでも続けていけたのは、やはり支持してくれるお客様がいたということですね。それまでは金沢箔工芸品という言葉もなかったところに、金沢に新たな産業を起こしたのが私たちだという自信はあります。」
伝統産業×外部デザイナーの幸せな構図
伝統工芸品の新たな道を模索するように、ここ数年で外部の有名デザイナーと地域のメーカーによる新商品プロジェクトが増えている。箔一でもそんなプロジェクトをいくつも手がけている。
浅野さん「例えば有名デザイナーの方と一緒に商品開発をさせていただくときに、私が社員に言っていることは、こちらも参画しないといけないということです。もちろんデザイナーの方にお願いすることは商品開発としてとても素晴らしいことです。その道のプロですから。しかし作ってもらうメーカー側がそれに甘えすぎてしまってはいけない。あくまでも自分たちのモノのデザインが基本にあって、それをデザイナーの目で現代のフィルターにかけて頂くことをお願いしています。車の開発でも色々なデザイナーを起用しますが、全部を丸投げすることはないわけで、あくまでも元の車種があって、それを現代風の丸みだったり色使いをデザインしていきますよね。それと一緒だと思っています。」
箔一流 職場へのこだわり
金沢箔に対する情熱と努力により、金沢箔は単なる素材としてだけではなく、金沢箔工芸として新たな世界を作り出した。金沢箔にとっての大きな一歩を踏み出した箔一の生産現場について伺った。
浅野さん「いま職人は社内に30名くらいいます。年代は20代から60代まで幅広くいますね。いまは不況でもあるので雇用はとても難しい時代です。私が心がけているのは、まず職場環境を大切にしています。うちの工場はきれいにすることを心がけています。誰でも自分が働く場所が油まみれで汚いところだと就職したいと思わないですよね?私たちはそれを一切なくす努力をしています。今はありあまるほどの職業が世の中にありますから、そのなかでも気持ちよく働ける環境づくりを心がけています。あとひとつは、夢を経営者が語れるかということ。不景気だ売れないとばかり言っている会社では従業員もついていかないですよね。もちろん数字の話もしますが、この事業を広げることでどんな楽しいことが待っているのかという話をきちんと伝えるということが大事だと思います。」
十円硬貨大の金合金なら、タタミ一畳分にまでのばす職人の技術。
完成した箔はその厚さ一万分の一ミリ。
箔貼りの作業も微細な技法を要する。
良いものを感じていただくキッカケづくり
浅野さん「日本の伝統的なものは、使わない人は一生使わないこともあると思うんです。でも一回使った方は他のものも伝統工芸品で揃えていく方が多いんです。使ってみるとやっぱり良いということが実感していただけるからだと思っています。ですから何かのカタチで使うキッカケが増えていけばいいと思っています。例えばお正月のちょっと特別なときに金沢箔のお重を使ってみていただければ嬉しいですね。コンビニで買ってきたお惣菜でも、うるしの器に入れるだけでなんだか美味しそうに見えますよね(笑)そうやって日本のものを一回使っていただくと、自然と他のモノ選びも日本のものを意識していただけるようになるんです。その一回目のキッカケを大切にしていただきたいですね。」
金沢箔を金沢箔工芸品に発展させて新しい産業を金沢に創造した。加賀百万石の伝統から生まれた金沢箔のすばらしさを、現代の生活空間の中に取り入れるべく、箔の生産から箔工芸品のデザイン開発、製造、販売を行っている。
他にあぶらとり紙や食用金箔など金箔にまつわる新しい産業を初めて手がけた。
株式会社箔一代表取締役社長浅野達也さん。