江戸時代より続く勝色の武州正藍染(埼玉)Bushusho-Ai Dyeing in Katsushoku Color since the Edo Period
天保8年より代々受け継がれてきた、武州壺藍染中島紺屋の匠の技と現代の感性を活かした、意匠性の高い唯一無二、表情豊かな藍染によるファッションアイテムを展開します。
The company offers fashion items made of highly designed, unique, expressive indigo-dyed fabrics, utilizing the skills of the Bushu Tsubo-Aizome Nakajima Konya artisans, which have been passed down from generation to generation since 1858, and still appealing to the modern age.
時を重ねるほどに表情が豊かになる藍色。天保8年より代々受け継がれてきた武州中島紺屋新島大吾さんの匠技とラ・ジョイア和田善治さんによる現代の感性を活かした独自のファッションアイテムをご提案します。
藍染は、植物由来の本藍染を手間を惜しまず、丁寧に一つ一つ染め上げる作品は使い込む程に藍が褪め冴えて風合い豊かな(経年美化)色味が表れてきます。
藍染の歴史の源流は古代エジプト。ツタンカーメン王の衣装やミイラを包む麻布は藍で染められていました。その後、シルクロードを伝わり、日本では平安時代から藍の発酵建てが行われ、枕草子などにも盛んに登場しています。
江戸時代には、衣類の80%が藍で染められていたそうです。今日では「ジャパンブルー」とも呼ばれ、昨今では海外からも大変注目されています。
武州正藍染
藍の濃淡だけで素朴な美しさが表現される武州正藍染は、江戸時代後半、埼玉県羽生市・加須市・行田市で生産された埼玉県武州地域で藍が栽培され、農家の主婦が農閑期を利用して家族の衣服をつくったのが始まりといわれ、自然原料の藍は日よけ・虫除けになり、さらに防臭効果もあるので、武士の鎧下の服や防具にも使われるようになりました。その後は剣道着や足袋、袴などにも、藍染が使われるようになり、最盛期には200軒近くの藍染屋があり、武州の一大産業となりました。
武州の正藍染めは、藍の葉から自然発酵建てでとった染料により染めるのが特徴で、手染めのため微妙な風合いがあり、さめるほど美しい色合いになります。このあたりの井戸水は他の地域よりも鉄分を多く含んでおり、媒染作用で紫がかった濃い藍色に染まり、「勝色(かちいろ)」とも呼ばれるその深い濃い色味が武州藍染の特徴。勝色は“戦に勝つ”という意味にかけて、武士の間でとくに好まれていたとも言われています。
昭和初期には100件以上あった紺屋も足袋の衰退や化学染料の 出現で現在稼働する紺屋は羽生市内では、残すところ4軒となりました。需要が減少する中、武州中島紺屋4代田鶴吉 中島安夫さんは重厚感に溢れ丈夫な剣道着に活路を見出し、今尚も高段者のステータスシンボルとして、愛され続けています。
現在は、5代目鶴吉 新島大吾さんがその伝統技術を継承し、環績にも優しい染物として近年アパレルブランドをはじめ様々な分野から注目を集めています。また年間を通じ、埼玉県内外約20,000人の小学生を対象とした体験染教室を精力的に行い、藍染の普及活動を行っています。