江戸時代に開花した伝統的な技法を受け継ぎ、日本が世界へ誇る伝統工芸となった「東京銀器」をご紹介します。
「銀師」により、江戸で開花した東京銀器
銀製品と聞くとヨーロッパのイメージが強いのですが、かつて日本は、岩見銀山など多くの鉱山をもつ世界有数の銀の産出国でした。法隆寺献納御物のなかに、すでに多くの銀器が残されており、このころから非常に高い技術を有していました。江戸時代中期に、彫金師の彫刻する器物の生地の作り手として、「銀師(しろがねし)」と呼ばれる銀器職人や、櫛、かんざし、神興(みこし)金具等を作る金工師と呼ばれる飾り職人が登場したことが「東京銀器」の始まりでした。町人文化が花開いた元禄時代には広く庶民にも普及し、女性の髪飾りや男性の煙管(きせる)などが作られるようになり、貨幣を作る金座・銀座もあった100万人都市の江戸で、銀器の製法は成熟したものとなりました。
磨くほどに深まる「銀」の魅力
銀の魅力は、金属でありながら温かみを感じさせるその独特の質感にあります。人類が古くから日用品を作るのに用いてきた銀は、熱伝導や可視光線の反射率などに優れています。大変柔らかいため加工しやすい反面、純度100%(地金)のままでは耐久性に乏しく、わずかな硬質の金属(割り金)を混ぜることで、さまざまな銀製品が作られています。現在は、鍛金・彫金・切ばめ・鑞付の4つの技法で装身具や各種置物などの様々な物がつくられており、世界に誇れるほどの独自性を持その伝統的な技法は、今もなお現代の「東京銀器」へと受け継がれています。