茨城県が誇る工芸品「桂雛(かつらびな)」。その中でもハイクラスブランド「TAKAO KOSAHATA」は、指先一つ一つまで丁寧に仕上げ、日本古来の色彩や文様文化の美学を徹底して追求することで雛人形は美術品の高みへと達しました。極上の素材を使い、想いを紡いで製作されてるこの世で唯一の雛人形。節句品の既成概念を超えた新世紀のインテリアが誕生しました。
日本の美しい手仕事
「桂雛(かつらびな)」とは、代々製作が続けられてきた旧桂村(現城里町)より名前が付けられた雛人形のことです。茨城県城里町は、かつては徳川家の城下町として、建築職人や工芸職人などが住み着いた歴史があります。この地は、明治中期頃から埼玉県・静岡県と並び代表的な雛人形の産地でしたが、現在は、衰退し、伝統ある雛人形の復活させているのが、この「桂雛」です。
通常は分業の雛人形の体部を一貫して手作りで製作するその製造法と技法が高く評価され、平成3年には「茨城県郷土工芸品」に指定されています。
「桂雛」は、丁寧に手仕事で作り上げられます。繊細な表情、仕草や美しい色彩感覚は、伝統とモダンを兼ね揃え、凛とした美しい表情とその重ねの装束には目を見張るものがあり、平安時代に確立した色の組み合わせである「かさねの色目」を意識的に取り入れています。
衣装には、正絹の吉祥文様を織り込んだ西陣織を多く使用します。その裂布の中には、独自の色柄をデザインし、織元と直接話し合って織り上げるものもあり、桂雛の独自性やこだわりが見られます。
ユネスコ無形文化遺産に登録されている「結城紬」や生地裏に常陸大宮の「西ノ内和紙」を使用するなど積極的に地元の素材への取り組みや、ベルギー出身のデザイナー「ドリス・ヴァン・ノッテン」の衣装を纏った雛人形など、様々な素材を取り入れています。
雛祭
雛祭の起源は、3世紀前後の古代中国で行っていた風習に基づくといわれています。中国では、“季節の変わり目は災いをもたらす邪気が入りやすい”と考えられ、3月最初の巳の日=上巳(じょうみ)に水辺で禊(みそぎ)*を行ったり、盃を水に流して自分のところに流れ着くまでに詩歌を読む「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」を行う風習がありました。これがやがて遣唐使によって日本に伝えられ、禊(みそぎ)の神事と結びつきます。当初は、天子(天皇のこと)をお祓いするための儀式であったものが、平安時代には宮中行事へと変化したといわれています。川のほとりに男女が集まり、災厄を祓う「上巳の祓い」として、「曲水の宴」を催したり、草木や紙などでかたどった人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流す儀式が行われるようになりました。現在でも日本の各地で行われている「流し雛」は、この名残といわれ、この紙の雛人形が発展し、現在の豪華な雛人形になったとされています。
雛祭を旧暦にすると、今年は4月21日にあたります。
桃や桜の花が見ごろを迎え、桃の節句にふさわしい季節です。旧暦まで雛人形を飾ることで、より本来の季節感を楽しむことができます。お子様の健やかな成長を願いながら、旧暦までゆっくりとお節句を楽しんではいかがでしょうか。
高いインテリア性を持つ「桂雛」は、桃の節句のみならず、お部屋を彩るオブジェとして常時飾っておきたい逸品です。
TAKAO KOSAHATA
茨城県が誇る工芸品「桂雛」の技と伝統を継承する作家・小佐畑孝雄が手がける全く新しい雛人形ブランド。日本の伝統工芸を新世紀のインテリアとして世界に提案する。
小佐畑 孝雄 こさはた たかお
1972年茨城県城里町生まれ。「桂雛」の創始者である祖父のもとで雛人形製作を開始。三代目を襲名して法人化、代表取締役に就任。いばらきデザインセレクションなど数々の賞に輝く。茨城県郷土工芸品実行委員会会長。
有限会社桂雛
1926年(昭和元年)に創業。水戸で修行した現社長の祖父である小佐畑喜士氏が 戦後、城里町で製造を始め個人企業として創業。その後、平成16年に法人化し、現在は、県内の一般 顧客への製造販売が大半を占めている。 人形業界は、そのほとんどが製造と販売において、全てが分業化されている中、職人による一貫製造 販売が当社の強みである。 同社主力商品は、親王飾りといわれる男雛、女雛の2体と屏風、飾り台。雛人形の市場は、経済成長 期においては7段飾りなどの雛人形が売上の主流であったが、長引く不況に加え、核家族化と少子化な どの要因により市場全体が伸び悩んでおり、この状況に対応する為に、親王飾りへ生産シフトし、事業展開を行っている。 また、平成26年2月に事業計画名「コンシェルジュ型パターンメイドによる別誂え雛人形の開発及びブランド化による地域活性化事業」にて地域産業資源活用事業の認定を取得した。