■日本を磨いてきた 亀の子束子
亀の子束子は約100年前、東京で生まれました。 それまでの藁や縄を束ねただけの洗浄道具はもろく洗浄力もよくありませんでしたが、棕櫚繊維を針金で巻いた「たわし」の発明は「洗い物そのもの」を変えることになるのです。以来、明治・大正・昭和・平成と亀の子束子は同じ名前、同じ形、同じ品質で日本を磨き続けてきました。今回はそんな亀の子束子をご紹介します。

■亀の子束子誕生ストーリー
たわしの誕生は1900年代初頭。折しも欧米の文化が日本に根付き始めた頃です。ちょうどその頃は東京に「洋食屋」が出来始め、およそ1500店舗程あったようで「和洋折衷」という言葉が流行っていたそうです。
それまで日本人の食生活と言えば「一汁一菜」に魚を焼いたものを添える程度。洗い物も比較的楽なものでした。しかし欧米の食文化が流行り始めると、洗い物が難しくなり始めます。「油汚れ」が出てくるからです。当時の洗い物には藁を束ねた「藁束」に「藁灰」を使ったものが主流です。この藁束と藁灰は「油汚れ」に弱かったのです。 株式会社亀の子束子西尾商店の創業者であり、亀の子束子の考案者「西尾正左衛門」は23歳の時に家業である「棕櫚製品の製造販売業」を継ぎました。大変なアイデアマンで色々なものを作りましたが、中でも「棕櫚素材を使った靴の泥落としマット」は一時期人気を博します。気を良くした正左衛門は特許を取得しようとします。が、残念ながらほぼ同時期にイギリスで同じ型のマットが特許を取得しており、特許の取得には至りませんでした。
この棕櫚マットですが、使っている(踏む)うちに棕櫚繊維が潰れてしまうということで売れなくなってしまいます。この返品をどうにかせねば、と考えていると…妻の「やす」がマットの一部を切り取って掃除に使っているのを偶然見かけました。これがたわし発明のきっかけになります。この時生まれた「棒たわし」に改良を加え、女性でも手に持ちやすい形にしたものが「亀の子束子」です。
この初めて生まれた道具は油汚れに強く、丈夫で長持ち、さらに何にでも使える便利さということで瞬く間に世に広がります。そこで、正左衛門はまず「特許」を取得します。1915年、無事に特許を取得しました。(それ以前の1908年に実用新案と商標は登録済み)この特許がすぐにたくさん出現した「偽物」から亀の子束子を守ってくれるはずでした。

しかし…特許は法的には偽物を駆逐するはずでしたが、実際には全ていたちごっこ。訴えても訴えても偽物が出てき続けます。そこで正左衛門は一大決心をし、特許ではなく「商標」を使って他社製品との差別化をすることにしました。
それまでたわしはパッケージには入っておらず、裸で販売されていました。そこで他社との差別化を進める為に、正左衛門は亀の子束子を「包装」することに決めたのです。以来、およそ100年に渡り、亀の子束子はオレンジ色の包み紙で包装された姿で販売されています。

株式会社 亀の子束子西尾商店
明治40年、初代社長西尾正左衛門のアイデアから生まれた「たわし」の販売を始め、以来この亀の子束子を中心に多くの洗浄用品、日用品雑貨を全国のご家庭にお届けすることを目的とし、品質の安定向上、新製品の開発を続けています。
現在は東京本郷真砂町にあった本社を関東大震災の影響を免れた滝野川工場へと移転し、今の北区・滝野川にて操業しています。
亀の子束子が丈夫で長くもつこと、機能的な形と洗い心地が良いことは多くのご家庭に支持されています。西尾商店は、亀の子束子が「たわし」のスタンダードであるべく、これからも長くご愛用いただける製品作りを目指しています。