昭和9年生まれの飯塚氏は、中学卒業後、同じく煙管職人であった父親の元に弟子入りし、その技と心を学びました。その後、紙巻きたばこが普及し、煙管の需要が減ると、一旦、電気機器の部品づくりの仕事に転職するものの、定年後再び、煙管職人としての道を選び、技を磨き続け、2012年4月には「にいがた県央マイスター」に認定されました。煙管の製作は父の代から受け継いだ作業台が使われ、様々な種類の煙管を生みだしています。煙管の製作だけでなく、羅宇竹の買い付けに自ら国内外へ出かけるなど、ものづくりに対するこだわりは今なお健在。その煙管の一本一本が、伝統を引き継ぐ匠の技術に裏打ちされた、いつまでも飽きのこない、奥深い世界をつくりあげています。
2012年10月26日
“粋人”のための道具 『煙管(キセル)』
日本には、現代においても江戸時代の素晴らしい伝統が依然として息づいています。日本各地で様々な匠の技術が守り伝えられ、それを支える特異な精神・美意識も現代日本人に受け継がれています。この目に見えない資産である日本文化の根底の概念には「粋」の精神があります。
「キセル」と聞いて、どんなことを思い浮かべますか。江戸時代や浮世絵でしょうか。
そう。実は煙管や刻みたばこは日本独自に発展してきた煙草文化なのです。喫煙文化はもともとアメリカで始まりました。大航海時代、コロンブスがアメリカ大陸を発見し、次々とヨーロッパ人がアメリカ大陸を訪れるようになり、そこから世界各地へ煙草が広まっていきました。日本に煙草が渡来したのもこの時期で、16世紀から17世紀ごろと言われています。すぐに日本にも煙管(キセル)で煙草を吸う文化が浸透し、徳川家康のもとにもスペインの宣教師からキセルが贈られたという記録が残っています。
その後、江戸時代には、日本独自の文化として刻み煙草・煙管(キセル)が発展していきます 。日本の美意識を継承し、繊細な彫刻を施した煙管などが作られるようになり、煙管と刻み煙草を持ち歩くたばこ入れと併せて、江戸時代の人々にとっては、持つ人の個性を映し出すものとなりました。
そして、江戸時代に大きく発展した煙管文化は、明治・大正・昭和を経て、現代へと受け継がれてきました。紙巻き煙草(シガレット)の誕生に伴い、煙管職人は減ってしまいましたが、新潟県燕市では日本随一の煙管職人である飯塚昇氏が、父親からその技を引き継ぎ、現在も煙管の制作を続けています。
飯塚昇謹製煙管
200年の歴史を持ち、匠の技を極めた伝統の手作り煙管(キセル)
キセルはかつて東京、京都、福島、新潟などで作られていました。新潟県燕市のキセル作りは少なくとも200年の歴史がありますが、キセル職人の数は年々減少し、現在燕市における手作りキセル職人は飯塚昇氏ただ一人となっています。
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