「小倉織」とは 豊前小倉(北九州市)の地で江戸時代から作り続けられてきた「小倉織」は、経糸が多く、丈夫で、なめらかな木綿の織物で、元々は武士の袴や帯として織られていました。小笠原藩士の婦女子が中心となり、綿を栽培し糸を紡ぎ織った布は、特産品として全国で珍重されました。 かの徳川家康が陣羽織として愛用し遺品にも残され、徳川美術館には江戸時代中期の狂言装束としての「縞小倉羽織」が保管されています。 明治時代には文明開化の波のなかで、袴の特徴を引き継ぎ、男子学生の夏の制服として「霜降り」と呼ばれるグレー無地の小倉織を製造し、小倉木綿・小倉服の名で全国に広がりました。 300年以上続いた小倉織ですが、残念なことに昭和初期に途絶えてしまいました。染織家 築城則子氏が偶然に出会った小さな布の断片から、2年近くの試行錯誤を繰り返し1984年に復元され、現代の布として再生しました。