至福の宵
金「鎚」で、打ち「起」こしながら、器を作り上げていく「鎚起」銅器。
玉川堂の鎚起銅器は日々の暮らしの中、使いながら乾拭きを繰り返すことで、色合いに深みとツヤが増し、円熟味を帯びていきます。
今回は洗練されたデザインの中に秘められた、鈍く光る独特の輝き。銅の手応えのある重みと優れた清涼感も楽しめる酒器を揃えました。左党ならずとも盃が進むこと請け合いです。
そのルーツは、江戸時代初期、和釘づくりが始まったことに端を発します。
江戸時代後期、仙台の渡り職人が燕に鎚起銅器の製法 を伝え、弊堂の祖、玉川覚兵衛によって受け継がれました。燕に銅器製造が発展した背景には、近郊の弥彦山から優良な銅が産出され、素材の入手が容易であったためです。
日常銅器(鍋、釜、薬罐) の製造から、漸次工芸品的要素を加え、明治六年(西暦1873 年)、日本が初めて参加したウィーン万国博覧会に出品し、戦前までに約三十回内外博覧会に出品受賞しました。明治二十七年(西暦1894 年) には明治天皇御大婚二十五周年奉祝に一輪花瓶を献上し、皇室の御慶 事には玉川堂製品の献上が習わしとなっています。
現在、新潟県より「新潟県無形文化財」、文化庁より「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」、経済産業大臣(旧通商産業大臣) より「伝統的工芸品」に指定され、国内唯一の鎚起銅器産地の発展に努力しています。
金「鎚」で、打ち「起」こしながら、器を作り上げていく「鎚起」銅器。
鎚起銅器の製作には 様々な道具を使用し、湯沸を製作するためには数十種類の鳥口(鉄棒)、金鎚を使用します。銅を叩いて伸ばすのではなく、叩きながら縮めていきます。縮めるのも丸めるのも職人の勘一つ。
湯沸の寸法はすべて職人の頭の中にあるのです。
一度叩くと銅は硬くなるため、製作途中に火炉の中に銅器を入れ柔らかくします。最後に玉川堂独自の着色を施し、職人の幾つもの技が織り込まれ完成します。