平戸藤祥五光窯 三川内焼(長崎)Hirado Tosho Goko Kiln - Mikawachi ware from Nagasaki -
9/1(金) - 10/31(木)
江戸時代末に西欧を魅了した三川内焼の極薄手磁器「卵殻手」の技術を再現し完全手ロクロで制作。その他伝統的な染付をはじめ、新たな釉薬や技法など多彩な作品を生み出しています。
The company reproduces the technique of Mikawachi ware's ultra-thin "eggshell hand" porcelain, which fascinated the West at the end of the Edo period, and produces completely by hand rocro. In addition to traditional Sometsuke, the company also produces a wide variety of works using new glazes and techniques.
平戸藤祥五光窯ひらどとうしょうごこうがま
陶号「平戸藤祥」は、寛永14年(1637)、初代当主が、平戸松浦藩御用窯である三川内皿山創設窯方五家の一人として、拝命参加した時に始まります。
高度な技術による極薄手磁器「卵殻手(らんかくで)」を完全手ロクロで制作する窯元です。江戸時代末に西欧を魅了した三川内焼(平戸焼)極薄手磁器の技術と魅力を再現しています。
現在、陶芸家「十三代 平戸藤祥 藤本岳英」と陶芸家陶画家「藤本 江里子」のおふたりで制作しています。伝統的な染付に加えて、辰砂釉(しんしゃゆう)・窯変・結晶釉(けっしょうゆう)・釉裏紅(ゆうりこう)・天目・曜変にも挑み、幅広く制作しています。
平戸藤祥五光窯で絵付けを担当している伝統工芸士・藤本江里子は、「金襴二度焼」の色合いに青や緑のカラーバリエーションを加えて描いています。伝統の唐草模様に加え、正倉院御物や干支の縁起模様などからモチーフを得て、花鳥絵や龍や馬の絵柄を描いています。
特に、馬は代々藤本家の得意とした題材で、江戸期の三川内焼(古平戸)として所蔵されている馬の絵の骨董品の中には、藤本家で造られたものが多く伝わっています。
その伝統模様の中でも、『馬九行久(うまくいく)』という絵柄は、馬が九頭で「うまくいく」という縁起良い語呂合わせの絵柄で、平戸藤祥五光窯では染付に色絵や金彩を加えて描いています。
新しいシリーズ『金彩馬九行久(うまくいく)』も発売いたします。
期間中、伝統工芸士・藤本 江里子さんによる〔工芸ワークショップ〕三川内焼絵付体験 金襴二度焼 9/14(土)・9/15(日)・9/16(月祝)を開催致します。是非この機会にご参加ください。
窯元「いま」語り
平戸藤祥五光窯 伝統工芸士
藤本 江里子
(ふじもと えりこ)
平戸藤祥五光窯 伝統工芸士
藤本 江里子
(ふじもと えりこ)
天女のような柔らかい線
「女性が描くとこういう線になるんですね」
私の絵を見てくださった方からよく言われます。「針切」というかなの書。線が針のように細く鋭い書体です。学生の頃、細いのにピンと張ったヴァイオリンの弦の音のような針切の姿が美しいと思い惹かれていました。しかし、針切とは違う柔らかい線をやきものに描くとは、そのときは思ってもいませんでした。
曽祖父は寺社仏閣に納める扁額を描く絵師でした。今も天女を描いた扁額が実家に飾ってあり、それを見上げながら子ども心に「天女のような柔らかくて、流れる線を描いてみたいな」と思っていました。
大学生の頃、古美術研究会に在籍し、障壁画や仏像などをよく鑑賞に行きました。そのときは自分の制作のためにではなく、純粋に「あぁ、きれいだな」と。それが今の唐子を描く際にも反映されていて、特に仏像の光背にある飛天のような、ふわっと、ひらひらっとしたものを描きたいという気持ちがあるのかもしれません。
大学を卒業した後は、佐世保市で公務員をしていました。市政情報紙「広報させぼ」の編集局が同じフロアにあり、その主幹の方が三川内焼に精通していました。その方と話をするうちに、だんだん伝統工芸である三川内焼の後継者になりたいという気持ちが湧いてきました。
夜間に伝統工芸士育成教室へ通いはじめましたが、そこは型物だけ。物足りなくなって、手ロクロのできる人を紹介してもらいました。それが夫となった13代目平戸藤祥の藤本岳英でした。
私の実家はやきものの販売をしています。でも、やきものの商人はデザインができる人が多く、私の父も自分でデザインの下描きをしていました。また、家の周りにはやきもの屋さんが多かったので、子どもの頃から工場を覗いたり、遊んだりしていたため、嫁いだ先が窯元で、その仕事をすることに対しての違和感はまったくありませんでした。
うつわというキャンバス
「牡丹を描くときは、実際に牡丹を眼の前に置いて描きなさい」
私が教わった絵の先生の言葉です。だから、私もつゆくさを描くときは、つゆくさを机の上に置いて、花びら、葉の根元の節の出方を見ながら描いています。だからこそ、量産をしているようなパターン化された絵ではなく、どの絵も生き生きとした感じが出ていると思います。これが個性になっていればいいなと思っています。
私は正式に日本画を学んでいませんが、夫は京都で日本画の勉強をしていました。「たらし込むときは、こういう筋の処理をする」などを夫から学びました。この日本画の技術をやきものでどのように表現するか。それに今、挑戦しています。
夫は途絶えていた「卵殻手(らんかくで)」の技術の再現に成功し、さらに完成度を高めようと試みています。今の三川内焼で夫の技術を継いでいる人はいません。その三川内焼を代表するボディに、どんな絵を描けばいいのだろうか。そう考えたとき、美しい日本画が頭に浮かびました。
線を描くだけでなく、絵に仕立て上げる技術。風景、植物などをうつわというキャンバスにどうやってはめ込んでいくかを、昔の絵描きさんは考えながら描いていたと思います。だから私も、文様でもあるけれど、もっと奥行きのある絵を描きたいと思っています。